金田一氏は言う。「日本人がアメリカへ行って色の黒いお手伝いさんを雇う。その人間が台所でコーヒー茶碗を割った。何と言うか。/お茶碗が割れたよ/と言うのだそうだ。「お茶碗を割った」とは言わない。〔中略〕日本人はちがう。〔中略〕自分の責任にして、/お茶碗を割りました/と表現するのである。自分の手柄は極力隠そうとする、自分の落度ははっきり認めようとする。日本人の心遣いがこういう表現に出ていると思う。」〔276-277頁〕
この米国人の挿話は伝聞形式で語られているが、果たして事実なのだろうか。そもそも、なぜ米国で雇われたお手伝いさんが「お茶碗が割れたよ」と“日本語で”言うのだろうか。つまり、金田一氏が聞いたのは、例えば、茶碗を割った米国人が“The cup broke.”と言ったというような話だったのではないか。
しかし、児玉徳美氏は次のように書いている。「英語はうっかりコップが割れたりコーヒーがこぼれた瞬間でも通例(13a,c)〔引用者注:“I broke the glass.”“I spilled it[coffee].”という文を指す〕のように言う。日本語流に直訳した(13b,d)〔引用者注:“Oh, The glass broke.”“Oh, it spilled.”という文を指す〕の英語は不自然である。まして人に謝る場合、(13b,d)は論理矛盾で不適格になる。」〔「ことばをめぐる言説」『言語文化研究』15巻1号、110-111頁〕つまり金田一氏が伝える挿話は事実に反する可能性がある。日本人論が如何にあやふやなデータに基づいているかを示すよい見本である。
また、《心遣いが欠けている》外国人の代表として描かれている米国人がわざわざ「色の黒い」人だと限定されているのはなぜか。「色の白い」人なら同様の言い訳をしないという意味なのだろうか。
日本語〈下〉 (岩波新書)
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