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魔の山〈上〉 (岩波文庫)
トーマス マン関 泰祐望月 市恵
価格: ¥903 (税込)

文庫
出版社: 岩波書店
発売日: 1988/10
ISBN: 4003243366
おすすめ度:4.0
Amazon ランキング: 80059位
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教養小説って響きは堅苦しいけど
学業を卒業し、職場に勤務するようになる直前、
ぼんやりと無気力に陥っているハンス・カストルプは、
気晴らしと療養を兼ねて、従兄弟の居る山奥のサナトリウムに滞在することを勧められる。
山では下界と違った時間が流れ、病人たちが日々独特の生活を送り、
その大抵のものは長く留まりすぎて下界に帰るところをなくし、魔の山の住人となってしまう。
山を下りたがる者、山を出入りする者、山で死ぬ者、山で諭す者、
あらゆる登場人物がそれぞれ教訓となっている。
ナフタとセテムブリーニの論争、特にナフタの発想は面白かった。
教養小説と言われてますが、正直難しかったです。
文章に読み難さを感じなければ、大半は山で繰り広げられる
ドタバタコメディーだと思って気軽に読めます。
買いですが・・・。
トーマス・マンの代表作と目される「魔の山」の岩波文庫版で、かつては四巻で出ていたのを上下二巻に分けたものですが、四巻で親しまれた方も多いのではないでしょうか。題名の「魔の山」とは山麓のサナトリウムの別名です。物語は展開としてはたいへん平易で、ハンス・カストルプという青年がサナトリウムに入所している従兄のヨーアヒムを当初三週間の予定で訪れ、そこで目にし接する人間模様が描かれているだけです。しかし、その描き方は写実的かつ丹念を極め、本作が見るからに分厚い大作であるのはひとえにそれに由来しているといっても過言ではありません。加えて、ハンス・カストルプが出会う、たとえばセテムブリー二を始めとする人物は、そのサナトリウムという閉ざされた環境ゆえ自家撞着を来たしているかのように螺旋状に複雑であり、その言動は必要以上に難解に説明的です。つまり、誤解を恐れずに言えば、読者はハンス・カストルプを視点に、多くの自閉的な人物の言動に付き合うことを余儀なくされ、それをいかに根気よく続けることができるか、その根気がどれだけ持続的で精緻であることができるか、その一点にこの作品をうまく読みうるかどうかがかかっている作品であると言えるのではないでしょうか。しかし、本巻最後3ページのハンス・カストルプの、ストーカーかつパラノイアかつ変質的な長台詞は、600ページに及ばんとする怒涛の細密かつ写実的な描写の果てに、思わず「そんな奴おらへんやろう」とつっこみたくなった一瞬でした。
文庫本は2人訳者
新潮文庫からも文庫本が出ていて訳は高橋さんです。訳者によって印象も異なるので購入時は御注意ください。
豊かな無為
ノーベル文学賞も受賞した、ドイツの大作家、トーマスマンの小説です。
この作品は、ドイツ教養小説の金字塔とされています。(教養小説とは、主人公が様々な経験を通して、成熟に至る物語という程の意味でしょうか。)

内容とも重なるので、長期休暇に読むのにうってつけの本だと思います。
(体は温泉やマッサージで癒して、心はこの本でリフレッシュするという感じで)

僕は、読んだ後に、「豊かな空虚」とでも言うような充実感を味わいました。

この作品に対する批判として、
「書かれる空間が狭く閉鎖的で、長いわりに何も起こらずイライラする。単調でつまらない」
というものがあるかと思います。

確かに物語は、スイスの療養地とその周辺というごく狭い場所での出来事がほとんど全てで、
また結局7年強の時間が小説の中で流れているにもかかわらず、起こることといえば、従来の患者の日常と、新たな患者の登場ということがメインです。(もちろん、最も多く書かれていることは主人公ハンスカストルプの生活です。)

しかし、それらの設定はもちろんマンによって企まれたものであって、下界と隔絶されたスイスのサナトリウムという空間でしか描き出す事の出来ない、
穏やかで単調でありながら緊張感を孕んだ時間の流れを、見事に書ききっていると思います。

我々は「何も起こらない」→「時間の無駄」と感じがちですが、「無為」を肯定的に扱う事も可能である(可能であった)という感慨を持たせてくれたのは、僕にとって新鮮な体験でした。
個人的には、滞在しているうちに、どんどん療養所の「魔の時間の流れ」に魅せられていく、ハンスカストルプの体験が身につまされて感じられました。
(誰でも、ほんの少しお遊びでいるつもりが、のめり込んで抜け出せなくなる経験を持っていると思います。)

好き嫌い・向き不向きのある小説であるということは確かだと思います。
この小説を素晴しいと感じ、擁護したい僕は、(あえて刺激的な事を言えば)読むために、読んで楽しむためには、
ある「資格」のようなものが必要かも知れない小説だと言いたいと思います。

思えば、「魔の山」は、「貴族」という今は無き階層が、まだそれほど遠くない所に感じられた時代に書かれた小説なのです。

時計の針を気にせずにいられない(僕もそうですが)、何かとせわしない現代社会にすむ我々にとって、貴重な時間体験をさせてくれる小説だと思います。

「魔の山」の謎
マンの代表作というので、いつか読まなくちゃな、と思っていたが、学生時代、独文科の友達が、本作品を読まされていて、学食で会うたびに、悲鳴を上げ文句を言っていたので、やや腰が引けていた。で、数ヶ月前に読んだのだが、端的に面白くないのだ。ただこんな小説を「ノーベル賞」を貰う作家が意味もなく延々と書くはずがない、いや、きっと何か意味があるはずだ、と思い返してみたが、ぴんと来ない。本当なら間違いなく星一つだが、それほどつまらないのに千ページ近くを読ませるのだから、とりあえず、星三つにした。筋は駄目、描写も下手、観念的な論争部分も下らない素人哲学談義。ショーシャ夫人というどう見ても美人とはいえない異相の女が気になって仕方なくなるというのは、閉鎖的な環境ではありえることなのだが、そのあたりのハンスのこころの描写が全然駄目だと思うし、上巻の末尾のショーシャ夫人との愛の場面も何をやっているのやら・・。後日、彼女の「男」になるペーペルコルンなる実業家が、実社会の逞しい男性として登場するのだが、こいつがハンスとショーシャ夫人の過去の関係を知って死んでしまうあたりは、あほらしさを通り越して、唖然としてしまった。有名な雪山のシーンも首を傾げる程度。セテンブリーニ(ゼッテンブリーニが正しい表記だろうが)とナフタの口げんかは、文字通り意味不明な奇人のそれ。全体としては、最初のうちはやや不自然なくらい客観的な描写なので、こりゃあ、ひょっとすると、20世紀初頭のキュビズムかなんかの影響かな、とか勝手な理屈をつけて自分を励まして読んでいたのだが、読んでいくうちに、どうも意識的な手法とは思えず、一貫性の無いような書き方になってきてしまっている。しかし、やっぱり馬鹿には出来ないでいるので、だれか、本書をきちんと説明してくれれば幸いです。



魔の山〈下〉 (岩波文庫)
トーマス マントーマス・マン関 泰祐望月 市恵
価格: ¥945 (税込)

文庫
出版社: 岩波書店
発売日: 1988/10
ISBN: 4003243374
おすすめ度:5.0
Amazon ランキング: 81214位
発送可能時期: 通常24時間以内に発送

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恐ろしく長い、そして圧倒されるばかり
この恐ろしく長い小説を読みながら常に感じた事は、
本書が非常にヨーロッパというものを意識して書かれているという事である。
小説の舞台となったスイス高原のサナトリウム「ベルクホーフ」自体が、
様々な国々から療養患者が集まるヨーロッパの縮図の様であり、
そこでは様々な言語が飛び交い、各国を代表する登場人物たちが風刺的に描かれている。
主人公の青年ハンス・カストルプを挟んで、人文主義者のセテムブリーニと非合理主義者ナフタによって
延々と繰り返される論争に接して、私はヨーロッパの思想史の深淵にただ圧倒されるばかりであった。
だがそんな二人の論争を沈黙させてしまうペーペルコルンの神秘的な力に主人公は傾倒していく。
このペーペルコルンという登場人物の意味するものは何なのか良くわからないが、
トーマス・マン自身も当時の思想界での論争に行き詰まりを感じていたのだろうか?
本書はその様な難解な話ばかりではなく、主人公とロシア人のショーシャ夫人との恋愛のエピソードもあって、
それはそれで十分に楽しめる。
終り近くの「ひどくうさんなこと」という題名の章では超能力少女が登場して、
主人公の死んだ従兄を呼び出す実験を行なったりするが、
人々がスピリチュアルなものに惹かれてしまうのは、当時の大戦前の不安定な世相を反映しているのかも知れない。
そして現在のスピリチュアル・ブームについても十分注意した方が良いと感じたのだが、どうだろうか?
日本人が全く知らない世界−−例えば172ページを読んでみよう。
 この小説を読んで痛感する事は、私達日本人は、ヨーロッパの歴史など知らない、と言ふ事である。我々が信じて居る書かれた歴史などとは違ふ歴史が、ヨーロッパには有った、と私は、思ふ。ほんの一例だが、この本のこの箇所を読んで欲しい。(以下引用)−−キリスト教徒の二人の子供が謎の死をとげたことから民衆運動と暴動が起こったとき、エリアは惨殺され、燃えさかる彼の家の入口のドアに釘ではりつけにされたのであった。妻は肺を病んで寝ていたが、幼いライブと四人の弟妹をつれて、六人がそろってさしあげて号泣し哀泣しながら国をあとにしたのであった。(本書172ページより)−−これは、登場人物の一人であるレオ・ナフタの父親とその家族の歴史に関する一節で、レオが幼少の頃、東欧で、彼の家族に起きた悲劇を語った箇所である。例えば、ここには、私達日本人が知らないヨーロッパの歴史の一面が描かれて居ないだろうか?−−これは、この小説のそうした側面のほんの一例である。
 悪魔を意識しながら、教会を建設し、革命を実行して来たヨーロッパの精神史を裏側から知る為に、私達は、この黙示と呼ぶべき小説に取り組み続けなければならないだろう。

(西岡昌紀・内科医)
トーマス・マンの時間芸術(下)
筋書はハンス・カストルプというハンブルクの青年が友人が入院しているスイスのサナトリウムに三週間の予定で見舞いに云ったら、どういう訳か自分が病人であることになり、数年もそこで入院する羽目になり、そこでの体験、特異な思想を持った様々な人たちとの出会いにより、精神的な成長を遂げるというものである。小説の技巧に会話、説明、描写という三要素がある。会話は登場人物のやり取りを記述する等速運動である。説明は「あれから3年たった」という記述により、時間を加速させたり停止させたりする。そして描写は登場人物の外面的、内面的な特徴を記述したり、小説の舞台装置を詳述し、その多大な文章量で時間を減速させる。本作品では主人公がサナトリウムに到着した最初の数日の描写が三分の一以上占められており、あとはあっという間に数年が過ぎ、最後は時間の流れそのものが停止する。時間芸術と呼ばれる小説の特性を駆使したマンの職人芸が発揮された作品である。
哲学的な小説
話の内容的には主人公のハンスがひょんなことから病院に療養することになり、、というような話ですが
単純に物語として読んでも愛や死への畏れや主人公の精神的な成長などとても面白く楽しめるないようですが
この作品には哲学的な意味合いも深い
読んでない人に悪いので何も言いませんがとにかく一度読んでみて

何度も読み返して裏の裏の意味まで見つけ出せると味の出る本でもあります
そしてマンの描写力のすばらしさもこの本を引き立てている一つだと思います

死の世界の音楽の美しさ
 生と死とは、愛とはどんなものかをテーマに書かれた長篇小説。
 単純な人間、ハンス・カストルプがひょんなことからとある山の上のサナトリウムに仮入院したことから始まり、彼が精神的な成長を遂げ、それゆえに山を下りる(=物語の幕が下りる)所までが描かれる。

 とても長い小説なので、途中で飽きてしまいそうになるが、カストルプが「単純な人間」であることが、逆に人生や人間のあり方といった問題を扱うのにふさわしかったのだ、ということも上下巻を通して読むと分かってくるし、頑張って読むに足る名作だと思う。

 中でも音楽「菩提樹の歌」によせて描かれる「死の世界への愛」が印象的で、最後にはこの歌とともに読者はカストルプと別れを告げることになる。
 個人的には、繰り返ち桊かれる自由や若者の生き方に対し、深く考えさせられた。




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