学業を卒業し、職場に勤務するようになる直前、
ぼんやりと無気力に陥っているハンス・カストルプは、
気晴らしと療養を兼ねて、従兄弟の居る山奥のサナトリウムに滞在することを勧められる。
山では下界と違った時間が流れ、病人たちが日々独特の生活を送り、
その大抵のものは長く留まりすぎて下界に帰るところをなくし、魔の山の住人となってしまう。
山を下りたがる者、山を出入りする者、山で死ぬ者、山で諭す者、
あらゆる登場人物がそれぞれ教訓となっている。
ナフタとセテムブリーニの論争、特にナフタの発想は面白かった。
教養小説と言われてますが、正直難しかったです。
文章に読み難さを感じなければ、大半は山で繰り広げられる
ドタバタコメディーだと思って気軽に読めます。
魔の山〈上〉 (岩波文庫)
|
トーマス・マンの代表作と目される「魔の山」の岩波文庫版で、かつては四巻で出ていたのを上下二巻に分けたものですが、四巻で親しまれた方も多いのではないでしょうか。題名の「魔の山」とは山麓のサナトリウムの別名です。物語は展開としてはたいへん平易で、ハンス・カストルプという青年がサナトリウムに入所している従兄のヨーアヒムを当初三週間の予定で訪れ、そこで目にし接する人間模様が描かれているだけです。しかし、その描き方は写実的かつ丹念を極め、本作が見るからに分厚い大作であるのはひとえにそれに由来しているといっても過言ではありません。加えて、ハンス・カストルプが出会う、たとえばセテムブリー二を始めとする人物は、そのサナトリウムという閉ざされた環境ゆえ自家撞着を来たしているかのように螺旋状に複雑であり、その言動は必要以上に難解に説明的です。つまり、誤解を恐れずに言えば、読者はハンス・カストルプを視点に、多くの自閉的な人物の言動に付き合うことを余儀なくされ、それをいかに根気よく続けることができるか、その根気がどれだけ持続的で精緻であることができるか、その一点にこの作品をうまく読みうるかどうかがかかっている作品であると言えるのではないでしょうか。しかし、本巻最後3ページのハンス・カストルプの、ストーカーかつパラノイアかつ変質的な長台詞は、600ページに及ばんとする怒涛の細密かつ写実的な描写の果てに、思わず「そんな奴おらへんやろう」とつっこみたくなった一瞬でした。
新潮文庫からも文庫本が出ていて訳は高橋さんです。訳者によって印象も異なるので購入時は御注意ください。
ノーベル文学賞も受賞した、ドイツの大作家、トーマスマンの小説です。
この作品は、ドイツ教養小説の金字塔とされています。(教養小説とは、主人公が様々な経験を通して、成熟に至る物語という程の意味でしょうか。)
内容とも重なるので、長期休暇に読むのにうってつけの本だと思います。
(体は温泉やマッサージで癒して、心はこの本でリフレッシュするという感じで)
僕は、読んだ後に、「豊かな空虚」とでも言うような充実感を味わいました。
この作品に対する批判として、
「書かれる空間が狭く閉鎖的で、長いわりに何も起こらずイライラする。単調でつまらない」
というものがあるかと思います。
確かに物語は、スイスの療養地とその周辺というごく狭い場所での出来事がほとんど全てで、
また結局7年強の時間が小説の中で流れているにもかかわらず、起こることといえば、従来の患者の日常と、新たな患者の登場ということがメインです。(もちろん、最も多く書かれていることは主人公ハンスカストルプの生活です。)
しかし、それらの設定はもちろんマンによって企まれたものであって、下界と隔絶されたスイスのサナトリウムという空間でしか描き出す事の出来ない、
穏やかで単調でありながら緊張感を孕んだ時間の流れを、見事に書ききっていると思います。
我々は「何も起こらない」→「時間の無駄」と感じがちですが、「無為」を肯定的に扱う事も可能である(可能であった)という感慨を持たせてくれたのは、僕にとって新鮮な体験でした。
個人的には、滞在しているうちに、どんどん療養所の「魔の時間の流れ」に魅せられていく、ハンスカストルプの体験が身につまされて感じられました。
(誰でも、ほんの少しお遊びでいるつもりが、のめり込んで抜け出せなくなる経験を持っていると思います。)
好き嫌い・向き不向きのある小説であるということは確かだと思います。
この小説を素晴しいと感じ、擁護したい僕は、(あえて刺激的な事を言えば)読むために、読んで楽しむためには、
ある「資格」のようなものが必要かも知れない小説だと言いたいと思います。
思えば、「魔の山」は、「貴族」という今は無き階層が、まだそれほど遠くない所に感じられた時代に書かれた小説なのです。
時計の針を気にせずにいられない(僕もそうですが)、何かとせわしない現代社会にすむ我々にとって、貴重な時間体験をさせてくれる小説だと思います。
この作品は、ドイツ教養小説の金字塔とされています。(教養小説とは、主人公が様々な経験を通して、成熟に至る物語という程の意味でしょうか。)
内容とも重なるので、長期休暇に読むのにうってつけの本だと思います。
(体は温泉やマッサージで癒して、心はこの本でリフレッシュするという感じで)
僕は、読んだ後に、「豊かな空虚」とでも言うような充実感を味わいました。
この作品に対する批判として、
「書かれる空間が狭く閉鎖的で、長いわりに何も起こらずイライラする。単調でつまらない」
というものがあるかと思います。
確かに物語は、スイスの療養地とその周辺というごく狭い場所での出来事がほとんど全てで、
また結局7年強の時間が小説の中で流れているにもかかわらず、起こることといえば、従来の患者の日常と、新たな患者の登場ということがメインです。(もちろん、最も多く書かれていることは主人公ハンスカストルプの生活です。)
しかし、それらの設定はもちろんマンによって企まれたものであって、下界と隔絶されたスイスのサナトリウムという空間でしか描き出す事の出来ない、
穏やかで単調でありながら緊張感を孕んだ時間の流れを、見事に書ききっていると思います。
我々は「何も起こらない」→「時間の無駄」と感じがちですが、「無為」を肯定的に扱う事も可能である(可能であった)という感慨を持たせてくれたのは、僕にとって新鮮な体験でした。
個人的には、滞在しているうちに、どんどん療養所の「魔の時間の流れ」に魅せられていく、ハンスカストルプの体験が身につまされて感じられました。
(誰でも、ほんの少しお遊びでいるつもりが、のめり込んで抜け出せなくなる経験を持っていると思います。)
好き嫌い・向き不向きのある小説であるということは確かだと思います。
この小説を素晴しいと感じ、擁護したい僕は、(あえて刺激的な事を言えば)読むために、読んで楽しむためには、
ある「資格」のようなものが必要かも知れない小説だと言いたいと思います。
思えば、「魔の山」は、「貴族」という今は無き階層が、まだそれほど遠くない所に感じられた時代に書かれた小説なのです。
時計の針を気にせずにいられない(僕もそうですが)、何かとせわしない現代社会にすむ我々にとって、貴重な時間体験をさせてくれる小説だと思います。
マンの代表作というので、いつか読まなくちゃな、と思っていたが、学生時代、独文科の友達が、本作品を読まされていて、学食で会うたびに、悲鳴を上げ文句を言っていたので、やや腰が引けていた。で、数ヶ月前に読んだのだが、端的に面白くないのだ。ただこんな小説を「ノーベル賞」を貰う作家が意味もなく延々と書くはずがない、いや、きっと何か意味があるはずだ、と思い返してみたが、ぴんと来ない。本当なら間違いなく星一つだが、それほどつまらないのに千ページ近くを読ませるのだから、とりあえず、星三つにした。筋は駄目、描写も下手、観念的な論争部分も下らない素人哲学談義。ショーシャ夫人というどう見ても美人とはいえない異相の女が気になって仕方なくなるというのは、閉鎖的な環境ではありえることなのだが、そのあたりのハンスのこころの描写が全然駄目だと思うし、上巻の末尾のショーシャ夫人との愛の場面も何をやっているのやら・・。後日、彼女の「男」になるペーペルコルンなる実業家が、実社会の逞しい男性として登場するのだが、こいつがハンスとショーシャ夫人の過去の関係を知って死んでしまうあたりは、あほらしさを通り越して、唖然としてしまった。有名な雪山のシーンも首を傾げる程度。セテンブリーニ(ゼッテンブリーニが正しい表記だろうが)とナフタの口げんかは、文字通り意味不明な奇人のそれ。全体としては、最初のうちはやや不自然なくらい客観的な描写なので、こりゃあ、ひょっとすると、20世紀初頭のキュビズムかなんかの影響かな、とか勝手な理屈をつけて自分を励まして読んでいたのだが、読んでいくうちに、どうも意識的な手法とは思えず、一貫性の無いような書き方になってきてしまっている。しかし、やっぱり馬鹿には出来ないでいるので、だれか、本書をきちんと説明してくれれば幸いです。





