であるので、「ユリシーズ」と「フィネガンズ・ウェイク」で十分である。ただ、いかにしてこのアイルランド作家が「文体への技巧」を論理的に構築していったのか、その一点に注目すれば読む価値は爆発的に高まる。はっきり言って、ドストエフスキーのような心理小説が好きな私にとって、リアリズム小説は倦厭してしまうものがあるのも確かだ。だが、マルセル・デュシャンが「泉」(便器)で、「芸術とはどこから始まるのか?」と問うたように、小説でも「どこから小説が始まるのか」に、私は興味を抱く。その意味で、「賞を取るための秘訣」「こう書けば巧い文章になる」「やってはいけない表現」などは、まるでこの作家が全世界に与えた啓蒙を理解していない痴愚のする愚行と断言できる。
小説にはルールが存在しない、これはバフチンの言った小説のルールである。ジョイス一連の作品群は、小説の形式を根源的に問い続けている。遥かな創造の沃野から・・・。
ダブリンの市民 (岩波文庫)
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『ユリシーズ』で知られるジョイスの短編集。
この『ダブリン市民』も非常に有名な作品で、このまえNHKラジオの
「原書で読む世界の名作」でも扱っていた。そのこともあって、原典も
書店で容易に入手可能。
最後の二本、「恩寵」と「死者たち」が長いが、ほかの作品はかなり
短く、すいすい読み進めることができる。岩波文庫としては字も大きく
すっきりとしていて読みやすい。
描かれているのはダブリンの日常である。子供が学校をサボったり、
男たちが酒場で黒ビールをやったり、親が子供を殴ったり、パーティー
が開かれたり・・・どれも、大事件ではなく、普段の生活のひとこま
である。しかし、穏やかな日常ではない。宗教の問題、イギリスへの
反感、アイルランド人としての意識、階級意識。多くの社会問題を抱え
ていたアイルランドの人々の屈折した感情が描かれ、鬱屈した雰囲気を
感じさせる。
はっきりとした結末を述べない短編も多く、読者に考える余地を与えて
くれる。
巻末にはくわしい解説が付されており、勉強になる。
この『ダブリン市民』も非常に有名な作品で、このまえNHKラジオの
「原書で読む世界の名作」でも扱っていた。そのこともあって、原典も
書店で容易に入手可能。
最後の二本、「恩寵」と「死者たち」が長いが、ほかの作品はかなり
短く、すいすい読み進めることができる。岩波文庫としては字も大きく
すっきりとしていて読みやすい。
描かれているのはダブリンの日常である。子供が学校をサボったり、
男たちが酒場で黒ビールをやったり、親が子供を殴ったり、パーティー
が開かれたり・・・どれも、大事件ではなく、普段の生活のひとこま
である。しかし、穏やかな日常ではない。宗教の問題、イギリスへの
反感、アイルランド人としての意識、階級意識。多くの社会問題を抱え
ていたアイルランドの人々の屈折した感情が描かれ、鬱屈した雰囲気を
感じさせる。
はっきりとした結末を述べない短編も多く、読者に考える余地を与えて
くれる。
巻末にはくわしい解説が付されており、勉強になる。
今日文庫で読めるものとしては、安藤訳、高松訳についで3冊目ということになる。それなりに特色を期待するわけだが、訳自体は高松訳系のやや硬い英文和訳調で、安藤訳と好みの分かれるところだろう。
第4話"Eveline"は高松訳を継承してイギリス英語流に「イーヴリン」と読んでいるが、安藤訳「エヴリン」がダブリンの発音に近い。この話の最後で"Eveline! Evvy!"というセリフがあるが、結城氏は「イーヴリン!イーヴヴィ!」と無理して読んでいる。別にアイルランドの英語を知らなくても、基本的英語のルールからして"Evvy"を「イーヴヴィ」などと読むのが不自然だということは分かるはず。やはり、皮肉なことに一番古い安藤訳「エヴィ」が一番正解に近い。
今はアイルランド人の朗読も入手して聴ける時代なので、その気になれば簡単に確認できたはず。小さな誤りをあげつらうようではあるが、もう3訳目にもなる作品なのだから、訳者にはこの方面の機微も分かるセンスが欲しかった。
今日文庫で読めるものとしては、安藤訳、高松訳についで3冊目ということになる。それなりに特色を期待するわけだが、訳自体は高松訳系のやや硬い和文英訳調で、安藤訳と好みの分かれるところだろう。
第4話"Eveline"は高松訳を継承してイギリス英語流に「イーヴリン」と読んでいるが、安藤訳「エヴリン」がダブリンの発音に近い。この話の最後で"Eveline! Evvy!"というセリフがあるが、結城氏は「イーヴリン!イーヴヴィ!」と無理して読んでいる。別にアイルランドの英語を知らなくても、基本的英語のルールからして"Evvy"を「イーヴヴィ」などと読むのが不自然だということは分かるはず。やはり、皮肉なことに一番古い安藤訳「エヴィ」が一番正解に近い。
今はアイルランド人の朗読も入手して聴ける時代なので、その気になれば簡単に確認できたはず。小さな誤りをあげつらうようではあるが、もう3訳目にもなる作品なのだから、訳者にはこの方面の機微も分かるセンスが欲しかった。



