府立高校時代に読んだ「古都」に感動して以来、約20年振りに氏の本を読みました。15歳までに両親、祖父母、姉を亡くし、書簡を交わし合った三島自殺の2年後の昭和47年にガス自殺した享年72歳の著者の当時抱いていた死生観と美の感覚が如実に表現されていると感じました。
村上春樹氏は「人生というのは負けるに決まっているゲームを闘っているようなものです」と読者に答えましたが、
学識があり無為徒食で裕福な暮らしを続ける家族持ちの島村、島村と同じ雪国への列車に乗り合わせた美しく透徹な陰を持つ娘の葉子、彼女が懸命に看病する重病らしき男、彼女らと同じ雪国の町に住み島村を待ちわびる芸者の駒子、この4人もまたそのような世界に生きます。
彼らの生は死を、それは肉体だけでなく心の死を内包し、健気に純粋にそして一途に芸者としてその範疇の中で生きる駒子と彼女を取り巻く島村、葉子、病の男の生き様が、儚く、虚しく、慎ましく、時に退廃的に、また一瞬の美の煌きと生への野心、そして死・別れの翳を伴って描かれます。
ノーベル文学賞を受賞した本書の価値を私では上手く表現できませんが、負けるに決まっている人の人生が持つ意味、或は人生そのものを、川端は自身の死生観と美感を持って描こうとしたのではないでしょうか。
私自身もっと人生を経れば本書の持つ深みにより近づける気がします。読後感はその人の年齢や人生経験により大きく異なるでしょうが、一読に値する深みのある日本文学です。
蛇足ですが、この「雪国」が、芥川賞を受賞した川上未映子氏の137回芥川賞候補作の主人公(=恐らくは著者の分身)の大切な思い出として描かれたことに、時空を超えた日本文学の不思議な巡り合せを感じました。
雪国 (岩波文庫)
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初めて「雪国」を読んだのは高校生の頃。
当時は芸者と高等遊民とのだらだらしたやり取りや、しょせん芸者遊びを描いただけの哲学的慧眼も起きない薄っぺらい内容だろ、とも考え嫌悪感を感じた。
こんなものが日本の代表作として海外等で取り上げられていいのか、と。
その後年月を経て、私も少しは人生経験を積み、川端がこの作品を書いていた年齢(30代後半)になって、改めて再読した。
正直に言うと、印象はかなり変わった。
特に私が引き込まれたのは、島村が初秋に温泉街を再々訪して以降の展開。
紅葉の頃を迎えて木々が色づき、虫の声が高まって次第に小さくなり、やがて山の上から雪化粧が始まり、初雪を迎え、冬の冷たさが広がっていく…
それらの風景の変化に呼応するように、島村や芸者の駒子の心象、距離感も微妙に変化していく…
初読時はだらだらした描写にしか思えなかったのが、一文一文の深い“あや”が一つの織物を織り上げるように場面を構成しているのに(今さらながら)気づき始めた。
一つの織り目だけを凝視していては、布としてもつ“やわらかい感覚”は見えてこない。
言葉を追うだけではダメで、言葉のもつ“まわり”の感覚を汲む、ということだろうか。
したがって、言葉の字面の意味しか教わっていない高校生では完全読解は難しく、その語彙の“周囲”を読み解く力(人間的成長とも言おうか)が求められるのだろう。
それにしても私の高校時代の第一印象、今読むと青臭いですねー。
この作品は何回も読むことで印象が深まる小説。
だから初読時の印象が悪かった人も、しばらく置いてからの再読をお勧めします。
私も新たな発見を求めて、さらに十年くらい置いてから再々読しようと考えています。
当時は芸者と高等遊民とのだらだらしたやり取りや、しょせん芸者遊びを描いただけの哲学的慧眼も起きない薄っぺらい内容だろ、とも考え嫌悪感を感じた。
こんなものが日本の代表作として海外等で取り上げられていいのか、と。
その後年月を経て、私も少しは人生経験を積み、川端がこの作品を書いていた年齢(30代後半)になって、改めて再読した。
正直に言うと、印象はかなり変わった。
特に私が引き込まれたのは、島村が初秋に温泉街を再々訪して以降の展開。
紅葉の頃を迎えて木々が色づき、虫の声が高まって次第に小さくなり、やがて山の上から雪化粧が始まり、初雪を迎え、冬の冷たさが広がっていく…
それらの風景の変化に呼応するように、島村や芸者の駒子の心象、距離感も微妙に変化していく…
初読時はだらだらした描写にしか思えなかったのが、一文一文の深い“あや”が一つの織物を織り上げるように場面を構成しているのに(今さらながら)気づき始めた。
一つの織り目だけを凝視していては、布としてもつ“やわらかい感覚”は見えてこない。
言葉を追うだけではダメで、言葉のもつ“まわり”の感覚を汲む、ということだろうか。
したがって、言葉の字面の意味しか教わっていない高校生では完全読解は難しく、その語彙の“周囲”を読み解く力(人間的成長とも言おうか)が求められるのだろう。
それにしても私の高校時代の第一印象、今読むと青臭いですねー。
この作品は何回も読むことで印象が深まる小説。
だから初読時の印象が悪かった人も、しばらく置いてからの再読をお勧めします。
私も新たな発見を求めて、さらに十年くらい置いてから再々読しようと考えています。
前半は甘美な叙情的小説かなと思うのですが段々と激しくなっていきます。
痛々しいまでに現実的というか・・・少し恐怖すら感じました。
段々と薄れていく愛。
最後に葉子が火事で落ちていく部分は戦後に著者がつけたしたものらしいです。戦争中、戦後に彼が何を見たかはわかりませんが最後の『つけたし』の部分が好きです。
滅びの美でしょうか。
最後の一行「踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の川が島村のなかへ流れ落ちるようであった」でそういう部分が集約されていると思います。
優しい雰囲気と厳しく暗澹たる雰囲気が漂っているのですが、全体としては冴え冴えとまとまっている。そんな作品だと思います。
痛々しいまでに現実的というか・・・少し恐怖すら感じました。
段々と薄れていく愛。
最後に葉子が火事で落ちていく部分は戦後に著者がつけたしたものらしいです。戦争中、戦後に彼が何を見たかはわかりませんが最後の『つけたし』の部分が好きです。
滅びの美でしょうか。
最後の一行「踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の川が島村のなかへ流れ落ちるようであった」でそういう部分が集約されていると思います。
優しい雰囲気と厳しく暗澹たる雰囲気が漂っているのですが、全体としては冴え冴えとまとまっている。そんな作品だと思います。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」の始まりはあまりにも有名ですが、他にも、読む人の心を掴んで一気にその風景の中に連れていってくれるような描写が本作品にはたくさんちりばめられています。そしてそのどれもが哀しく美しい。
主語や時間・場所の描写が曖昧で、一見、難解で何が言いたいのか分からない気がしないでもないのですが、でもよく読んでみるとその曖昧さが故に感じることができる情景というのがあります。これが分かった時、「ああ、日本って良い国だな」ってつくづく思いました。
余談ですが、冬、火燵に入って読むのが最高に似合う一品です。
主語や時間・場所の描写が曖昧で、一見、難解で何が言いたいのか分からない気がしないでもないのですが、でもよく読んでみるとその曖昧さが故に感じることができる情景というのがあります。これが分かった時、「ああ、日本って良い国だな」ってつくづく思いました。
余談ですが、冬、火燵に入って読むのが最高に似合う一品です。
書き出しの「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」は有名ですが、私にはその後に続く「夜の底が白くなった。」の一文の方が、より詩的で、絵のように美しく感じられました。
この作品は、どこを切り取っても、絵(それも国宝級の日本画)になる文章で書かれています。
主人公である島村の“女”、駒子の「白い肌」「黒い髪」「紅い頬」が繰り返し描写されていますが、描かれる風景もまた、雪に代表される白、山々や夜に代表される黒、そして最後のシーンの火事に代表される赤の三色で統一されていて、モノクロの世界に時折はっと差し込んでくる赤が、鮮烈な美しさを放っています。
本当に、美しい日本語で、美しい日本について、書かれた作品でした。まさに、『美しい日本の私』・・・。
日本人ならぜひ、読んでおきたい一冊です。



