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坊っちゃん (岩波文庫)
夏目 漱石
価格: ¥378 (税込)

文庫
出版社: 岩波書店
発売日: 1989/05
ISBN: 4003101030
おすすめ度:5.0
Amazon ランキング: 46050位
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中学生が読むには深すぎるとは思いますが
 中学生の時に読んで以来、ほぼ30年ぶりに読んだ。

 今までずっと、勧善懲悪の痛快な、さわやかな話だと思っていたが、今回、読みながらボロボロ涙が出た。

 両親からも兄からも駄目な奴と言われて育ち、唯一坊っちゃんを褒めてかわいがってくれた清との別れ、再会の所は涙が止まらなかった。

 坊っちゃんの孤独は全編を通じて貫かれている。山嵐も理解者のようにも思えるが、実は本人にその気があったかどうかはさておき、坊っちゃんを利用しただけとも考えられるし、坊っちゃんも協力したと言うよりは、ただ行動を共にしただけで、山嵐にしてみれば坊っちゃんの存在はどうと言うこともないようにも思える。

 漱石自身は坊っちゃんの生き方をどう評価していたのだろうか。果たしてこの無鉄砲な生き方を理想と考えていたのかどうか。

 結局清とは死に別れ、仕事にも就けたとはいえ、結局はあまり魅力的とは思えない仕事に落ち着いて、なんとなく尻すぼみのような、あまり坊ちゃんに肩入れしているようには思えないような話の終え方でもあり、あるいは、漱石自身の生き方を自虐的に、坊っちゃんに重ねていたのかもしれないとも思った。

 中学生が読むにはあまりに深すぎる小説であることには間違いないだろう。いや、読んで悪い事はないとは思うが。
清かわいいよ清
これは小学生の時に読んだ時の感想である「痛快青春活劇」ではかった。
また作者が意図したであろう明治維新による近代化を誘った陽明学的な公共精神(坊ちゃん&山嵐)が、皮肉にも朱子学的権威主義と結び付いた近代的個人主義(赤シャツ、野だ、狸)によって敗北する明治後期の思想的な問題を風刺した「文学」との評価でも物足りない。
犬ちっく美少女(要脳内変換)の清と別れる事でそのウザったさ開放されようとしたが、共依存の関係であった事に気付き、その愛を受け入れるツンデレな主人公を描いた「萌え系ラノベ」なのである。
繰り返される松山批判は東京と比較にように見えて実は、清のいない松山と清のいる東京との比較であり、清を伴って松山に来たとしたら?と考えて坊ちゃんの行動を眺めるも一興だ。
100年の時を越えた萌えキャラの清にノックアウトされたい人は是非!
強がり者の寂しさ
「人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない」(本文より)

個人的には、清に長々とした手紙を書こうと思い、あれこれ悩んだ挙句に「手紙は向かん」といって放っぽりだしてしまう坊ちゃんのシーンが好きだ。
坊ちゃんの不器用さと、清への愛情の描写がいい。

この物語の中で要になっているのは、「清」の存在だと思う。
田舎に来て一人ぼっちになり、逆に清の存在の重さを知って、帰っていくその姿。
田舎への赴任はまるで、坊ちゃんの「家出」冒険のようにも見える。

最後の一文は、なんとも切ない。
強がり者の寂しさが、じわりとにじむ読後感。
江戸っ子なんだよね〜、坊ちゃんは!
30年振りくらいに読み返して、
「坊ちゃん」って饒舌で短気で喧嘩っ早い江戸っ子そのものだったんだ、と再発見した、というか思い出したのだ。

爽快な坊ちゃんの言動に時には笑い声まで出てしまった。

赤シャツとか嫌なやつをさんざんとっちめてやって、
赴任先の松山の学校をスパッと辞めて東京に返っていく坊ちゃんに、
「イヨッ!さすが江戸っ子、惚れ惚れするねー!!」と声をかけたくなる。

そして東京では乳母役であった清がまっているだけ。
いつも坊ちゃんを褒め称えてくれた清と、
玄関のない家で二人で暮らすことになるというところで、この物語は終わる。

この気質は漱石のそれでもあり、「我が輩は猫である」ではその饒舌さが思う存分ぶちまけられている。
絶対的孤独を語り始める、漱石晩年の作品のトーンとはまったく違う。
夏目漱石という明治の文豪の初期を知るには格好の書。
あれ、こんな話だっけ
読みだして、あれ、こんな話だったかな、と思った。
読みすすんでも、どうしても違和感が残る。
小学校のころに読んだ印象、あるいはそこかしこでの「坊っちゃん」のイメージとどうしても重ならない。痛快な青春小説という感覚でとらえていたのだ。
そうではない。
どことなく悲しい、寂しい話だと思った。
軽快なテンポの文章にのせて、ひとりぼっちの坊っちゃんが突っ走るのだ。
また読み返そうと思う。
違うことに気がつきそうだ



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